ペンの会社がナゼしまうま?!「ゼブラ」社名の秘密

当社は、社名がゼブラ(縞馬)です。商標も縞馬マークになっています。
今ではどなたからもそれを不思議に思われず「ゼブラ」と呼んでいただけ、縞馬のマークを見ると当社「ゼブラ」の商品だと理解していただけます。
しかし、なぜ筆記具メーカーの社名が縞馬なのか、その理由は「動物園でも人気だから」くらいに思われているようです。

当社が縞馬のロゴを採用したのは大正3年(1914年)のことです。上野動物園に最初に縞馬が来たのは昭和6年(1931年)ですから、まだまだ縞馬自体が珍しい頃です。
当社の縞馬のマークには明治の時代にある事業を始めた1人の青年の想いが込められています。

世のためになるものをつくる

創業者、石川徳松は、「物をつくる」ことが幼少のころから大好きでした。そして「世のためになるものを作って、お国に奉仕する」と口癖のように言い、次第に文房具の開発に興味を持ち始めます。
明治の文明開化とともに和紙と筆の文化から、鋼の「ペン先」を使って書く書類、帳簿の洋式文化が広まりました。ペン先とは、インクを先端につけて書く当時の筆記具で、現在では漫画の作画やカリグラフィーで使われています。

しかし、明治の初めまでペン先は、海外からの輸入品が主流でした。石川は「国家、社会のため」なんとしても国産化したいと決意し、自宅を研究室にして開発に着手しました。

日本初のペン先を製造販売

石川が開発を始めた頃、ペン先の製造に関する文献や資料はありませんでした。まだ20歳にもなってなかった石川は、自宅で鉄板から形を抜いてペン先を作るところから始め、夜は石油ランプを頼りに苦闘しなんとか製品化することに成功。「石川ペン先製作所」をスタートさせました。今で言うガレージ企業、ベンチャーですね。

独自の製品名を

石川ペン先製作所がペン先を製品化させた当時、最先端の技術は常に海外からもたらされているものでした。「上等舶来」という言葉の通り、品質の良いものは、海外からの輸入品と世間に認識されていました。
苦労を重ねて石川が開発した日本初の国産ペン先でしたが、「アンソン・イリス」という舶来品、洋風の商品名を使用して販売することにしました。

日露戦争後の好況期に、「アンソン・イリス」は順調に生産が伸びていきました。石川ペン先製作所は、製造機器の改良、製品の品質改善にひたむきな努力を重ね、博覧会に出品し数多くの賞を受賞。「舶来品にひけをとらない」と評価されるまでになり、宮内省御買上げの光栄に浴しました。

第一次世界大戦の勃発とともに、海外からのペン先の輸入が停止する事態となりました。ペン先も、すべて国産品に頼ることになり、国内の生産への期待、認知も広がっていきます。
国産に注目が集まったタイミングで、洋風の名前を改めて、独自の製品名をつけることにしました。

ゼブラに込めた3つの想い

石川はたまたま読んでいた洋書に「ゼブラ」(ZEBRA)の文字を見つけたとき、「これだ」とひらめき、ペン先の商品名にしました。ゼブラの文字に石川は3つの想いを見い出したと言われています。

1.社員の団結「和」
縞馬(ZEBRA)は、アフリカの原野に棲息し、個々には外敵から身を守る武器すら持たない、非常に温和な動物です。そのために、いつも群棲し、一致協力して生活を守り続けています。
石川は、この縞馬(ZEBRA)のように、全社員が堅く団結し、文化の向上、発展にかかせない筆記具の製造に邁進することを願いました。

2.「斑馬」の文字
また、縞馬(ZEBRA)は、別の文字表記では「斑馬」と書き表すこともあります。この斑馬という文字は文と王との組み合わせからなり、文具界に身を置く会社にとってふさわしい文字であると石川は考えたのです。

3.「温故知新」の意味を込める
さらに、商標の縞馬(ZEBRA)がうしろをむいているのは、温故知新(古きをたずねて、新しきを知る)の意味を込めました。

縞馬(ZEBRA)を商標と定めると同時に、「人の和の力」と「温故知新」の精神をゼブラを支える2本の柱としました。

縞馬のロゴマークの変遷

最初に縞馬のロゴを使用したのが大正3年(1914年)です。キリッと四本の脚で立ち後ろを振り向く姿が印象的です。
時代とともにデザインは変わっていきます。背景にサバンナの風景が描かれた時期もあります。ヤシの木とピラミッドが見えるのが特徴で今も、当社の工場の壁面に掲げられています。現在はシンプルな絵柄になっていますが後ろを振り向く姿は変わっていません。

ゼブラは商品名から社名へ

創業者石川徳松が亡くなるのは、昭和38年(1963年)10月のことです。明治、大正、昭和と混迷の時代を生き抜きものづくりへの情熱をそそぎました。

社名を変更したのは石川が亡くなる半年前のことでした。ペン先の製造販売だけでなく、すでにボールペンの製造販売を開始し軌道に乗っており石川ペン先製作所を、商標のゼブラにのっとり「ゼブラ株式会社」に変更しました。
その後も「マッキー」や「シャーボ」「サラサ」など様々な筆記具を開発、販売してきましたが、ゼブラの商標に込めた創業者 石川の想い、人の和の力と温故知新の精神はゼブラを支える2本の柱として今も息づいています。

しまうまノートとは

ゼブラが知ってる書く楽しさをもっとみんなに伝えるために。 いろいろ記す、自由なノート。

まねしたくなる手書きの楽しさ。ちょっと役立つ便利な知識。
こだわり、うんちく、文具愛。
真面目に気ままに記していきます。

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